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蜷川幸雄の葬儀で弟子藤原竜也が送った師匠への愛溢れる弔辞

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12日に多臓器不全により享年80歳で死去した演出家の蜷川幸雄さんの葬儀が
16日執り行わりました。

その中で、俳優の藤原竜也さんが弔辞を読み上げましたが
それはとても心が震えるものでした。

こんなに想いが溢れる弔辞初めて見ました。

厳しくても愛があれば
それは必ず相手に伝わるものだと

心から思いました。

今回は蜷川幸雄さんと藤原竜也さんについてお話します。

蜷川幸雄という人物

開成高等学校卒業後に画家を志して東京藝術大学美術学部を受験するも失敗。

将来の進路に迷っていたとき偶然「劇団青俳」による安部公房『制服』の公演に接し、
衝撃を受けて「劇団青俳」に参加しました。

俳優として活躍していましたが「自分は演出に向いている」と悟り、
その後は劇団を結成し演出家に転向します(それ以降もある時期までは俳優業は続けていました)。

アングラ・小劇場運動盛んな時期に演出家としてデビューし、若者層を中心に人気を集めます。
1970年代半ばから商業演劇に活動の場を移し大劇場でのダイナミックな演出で話題作を次々と発表。
1990年代以降は中劇場の空間を好んで使っていました。

演出作品は、清水邦夫、唐十郎、井上ひさし、野田秀樹、岩松了などの現代劇から、
ギリシャ悲劇やシェイクスピア、チェーホフなど海外の古典・近代劇に至るまで、多岐にわたりました。

鮮烈なヴィジュアルイメージで観客を劇世界に惹き込むことを得意とする、
現代日本を代表する演出家のひとりとして
海外でも評価が高く、「世界のニナガワ」とも呼ばれていました。

起用する出演者はトップスターや実力派俳優から人気アイドルまでと幅広く、
意表をついたキャスティングで話題を呼ぶこともありました。

藤原竜也という人物

1997年
蜷川幸雄演出の舞台『身毒丸』主役オーディションでグランプリを獲得し、
デビュー。

バービカン・センター(ロンドン)での公演にて
「15歳で初舞台とは思えぬ存在感で天才新人現る」と大絶賛され、翌年の凱旋公演も行われました。

その後は深作欣二監督にも才能を認められ
『バトル・ロワイアル』と監督の遺作となった『バトル・ロワイアルII 【鎮魂歌】』
共に仕事をしています。

他の主な出演作品

舞台 → ハムレット、ロミオとジュリエット、ANJIN イングリッシュ・サムライ など
ドラマ → 新・星の金貨、新選組!、ST 赤と白の捜査ファイル、精霊の守り人 など
映画 → カイジ 人生逆転ゲーム、デスノート、るろうに剣心 など

二人の関係の始まり

1997年蜷川幸雄さん演出の舞台、
「身毒丸」の主役を決めるオーディションに藤原竜也さんが参加したのが始まりです。

若干15歳だった藤原竜也さんはそれまで演劇経験がなかったのですが
初舞台で迫力ある演技を見せ、当時天才新人と話題を呼びました。

想い溢れる弔辞

それでは御覧ください。

<弔辞全文 文字起こし>

その涙はうそっぱちだろって怒られそうですけど。

短く言ったら長く言えと怒られ、
長くしゃべろうとすれば、つまらないから短くしろって怒られそうですけど。

まさか蜷川さん、今日、僕はここに立つことになろうとは、
自分は想像すらしてませんでしたよ。

最後のけいこというかね、言葉で…蜷川さん、弔辞。

5月11日、病室でお会いした時間が、最後になってしまうとは。
ごめんなさい。本当に申し訳ないです。

先日ね、公園で独りハムレットのけいこの録音テープを聞き返してみましたよ。
恐ろしいほどのダメだしの数でした。

「俺のダメ出しでお前に伝えたいことはほぼ言った。

 今はすべてわかろうとしなくてもいい
 いずれ理解出来る時がくるからと。
 そしたら少しは楽になるからアジアの小さな島国のちっちゃい俳優にはなるなと。

 もっと苦しめ。

 泥水に顔をつっこんで、もがいて、苦しんで、

 本当にどうしようもなくなったときに手を挙げろ。

 その手を、必ず俺が引っ張ってやるから」と。

 蜷川さんそう言ってましたよ。

 蜷川さん悔しいでしょう、
 悔しくて泣けてくるでしょう。

 僕らも同じですよ。

 もっと一緒にいたかったし、仕事がしたかったです。

 これだけたくさんの先輩方、同志の方たちが、たくさんきてますね。

 蜷川さんからの直接の声は、もう心の中でしか聞けませんけれども、
 蜷川さんの思いを、ここにいるみんなでしっかり受け継いで頑張っていきたいと思います。

 気を抜いたら、馬鹿な仕事してたら怒って下さい。

 1997年、蜷川さん、あなたは僕を生みました。

 くしくも昨日は僕の誕生日でした。
 19年間、苦しくも…まあ、ほぼ憎しみでしかないんですけど…蜷川さんに対しては。

 本当に最高の演劇人生をありがとうございました。
 蜷川さん、それでは、また。

心を震わされる言葉は

もう、読んだだけで泣けてきますよ。
ニュースの弔辞映像見たらもっと泣けますよ。
歳を取ったから涙腺が弱くなっただけではないんですよ。

蜷川さんの言葉然り。

藤原さんの言葉然り。

どちらも愛が溢れています
本当にとてもいい師弟関係だったんだなと。

信頼していたからどんなに辛くてもついていった藤原さん。
信頼していたから厳しくしていた蜷川さん。

最期の花道で弟子からこんな言葉を贈られてもうこれは
師匠冥利に尽きるだろうと。

そしていい仕事をしてきたから最後の最後で
こうして沢山の人が別れを惜しんでやってくる。

蜷川さんはとても素敵な方で
とても良い仕事をしていたんだなと。

そう思わずにはいられません。

私は一般人で沢山の人に影響を与えることができる人間ではないですし
聖人君子ではないのですべての人にはできませんが

たとえもし突然、何年か後に小惑星が地球に衝突することがあったとしても
せめて身近な人や大切な人には愛を以って接していきたいと。

それくらい心が震えました。

あなたは心が震えるくらいの言葉に出逢ったことがありますか?

蜷川幸雄さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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